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わたしのおうち

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あなたの「好き」が「嫌い」で「嫌い」を「好き」と

こんばんは。色々さぼり気味だった為にツケが回ってきているSizです。旧HNのがインパクト強くて、他は全部ぺきんでまかり通っているのがどうしようって感じです。今もぺきんって打って打ちなおすありさま。

ツイッターやブログで、わざわざ書く必要はないのに「このCPは嫌い!」とか「この○○は気に入らない」「どうにも苦手」と言ってしまう心理が気になりました。

そういうマイナスな言葉を吐くのは勿論自由です。
でも、それを表現することに対するデメリットはあっても、メリットはほとんどないと思われるのです。
それも「どうしてそんな些細なことを嫌い嫌い、と主張するのか」と不思議に思う程です。
なのに何故人はそれをしてしまうのか。

ひとつ、思いついた仮説があります。
たとえば、悪くなっていた食べ物を食べお腹を壊し酷い目にあったという記憶があると、その食べ物に対し嫌悪感を抱きその後食べることができなくなるということがあります。必ずではありませんが。
それと同じ、「嫌いなもの」というものは、その体験を思い起こさせるきっかけになり、その人にとって不快なものに分類される。つまり、本当に嫌いなのは「過去の体験」」ということになる。

そして、食べ物と違うところは、その不快な気分の元を他の人に理解してもらいたいという欲求があるためわざわざ口にするのではないか、ということです。

書いてみると当たり前のように感じられるのですが、意外と認識されない事のように感じて。
過去の経験から導き出される「嫌い」。
それを嫌いでもあえて口に出さないことってたくさんありますよね?
それはその人にとって解決済みの過去であるのだと思います。
ところがブログ、交流サイトなどでつい「嫌い」と言ってしまうのは、その人にとって未だ解決できない現在進行形の出来事なのだと思います。「そのもの」が嫌いというよりも、それが原因となって引き起こされる不快感の源が、未だ解決されていないのではないか、ということです。

それを解決できたとき、人はひとつ大人になった、ということなのかもしれませんね。


※追記
「嫌い」になる遠因を他人に分かって貰いたい欲求のほか、自分でそれを解決したい、と願っているのかもしれない、とも思いました。

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大神、ワンダと巨像、ICO、風ノ旅ビト、落第忍者乱太郎及び忍たま乱太郎、が好きすぎてよくファンアートや二次創作しています。好きはオオカミ、馬、猛禽、鳥など:いしいしんじ、恩田陸、古川日出男、小野不由美、京極夏彦、森薫、入江亜季、ロートレック、モーリス・ドニ、歌川国芳・・・エトセトラ。(旧HN:北京ダック)

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